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千葉地方裁判所一宮支部 昭和33年(ワ)23号 判決

原告 鶴谷二利三郎

被告 岡本郁朗

主文

被告は原告に対し金九九万七〇〇〇円およびこれに対するうち金九〇万三六二三円については昭和三三年三月二一日から、うち金九万三三七七円については同年七月一〇日から、いずれも支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求は棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

本判決は原告において金三〇万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

第一原告の申立ならびに主張

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金九九万七八二三円およびこれに対するうち金九〇万三六二三円については昭和三三年三月二一日から、うち金九万四二〇〇円については同年七月一〇日から、いずれも支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求原因として次のとおり陳述した。

一  原告は昭和一八年五月一日被告から(一)長生郡長柄町山之郷四〇五番の四〇山林三町七反一畝二八歩、(二)同所同番の四二山林一反六畝歩を一括して代金七一七六円七六銭(一反歩一八五円)で買い受け、同日代金のうち入れとして金五〇〇〇円を支払い、残金は所有権移転登記を受けると同時に支払うことと定めた。右契約は原告の代理人大塚喜四郎と被告との間でおこなわれたもので、原告は当時右各土地の引渡を受け、(一)の土地内に住居を移築し、爾来これに居住している。

二  しかして原告はその頃残代金を何時でも支払い得るよう準備して所有権移転登記手続を求めたところ、被告が「(一)の土地については自分に借財があるため親族のものの名義にしてあるが、その親族が死んで相続人が沢山あり、印鑑を貰うのに手間がかかるから暫く待つてくれ。」というのでこれを猶予しているうち、昭和一九年八月頃に至つて、右(一)の土地はすでに昭和八年三月四日被告から訴外岡本泰(昭和一一年三月一六日死亡)に昭和一八年二月二八日までに買い戻し得る特約付で売り渡され、その旨の登記がされていることが判明した。しかしながら原告としては被告の言により、被告がこれを買い戻して原告に所有権を移転してくれるものと信じており、被告もまた岡本泰の相続人等から直接原告に所有権移転登記手続をさせるべく、昭和一九年六月一九日(一)の土地につき岡本泰の遺産相続人である岡本孝行、岡本静枝ほか四名のために遺産相続による所有権移転登記を受けさせた。しかるに昭和二〇年五月三〇日岡本孝行が死亡し岡本静枝がその家督相続をしたので(一)の土地に対する孝行の持分権につき再度の相続登記を要することになり、加うるに終戦時の混乱の際でもあつて爾後の登記手続が容易にはかどらなかつたか、原告は被告が必ず登記をしてくれるものと信じて待つていた。

三  昭和二三年二月二日自作農創設特別措置法により(一)の土地のうち現況畑の部分六反歩(原告において耕作中)が国に買収され、同番の五四畑六反歩として分筆のうち原告に売り渡され(売渡代金一〇三六円八〇銭)、ついで昭和二五年七月二日(一)の土地のうち原告の家屋のある部分三〇〇坪も同法により国に買収され、同番の五五宅地三〇〇坪として分筆のうえ原告に売り渡された(売渡代金八二五円)。

四  その後も原告は被告に登記手続の請求を続けてきたところ、(二)の土地については、ようやく昭和三三年二月五日被告から原告に所有権移転登記されたが、(一)の土地の残部山林三町一畝二八歩は昭和三三年二月七日その所有者である岡本静枝ほか四名から訴外鍵和田康にこれを売り渡し、同月一〇日岡本静枝のため家督相続による岡本孝行の持分権移転登記を経たうえ、上記四名から鍵和田に所有権移転登記を経由してしまつたので、この部分については原告の遂に所有権を取得することができない結果となつた。しかしながら原告としては、すでに右土地内に居住し、山林には杉苗約三〇〇〇本を植林している実情であるから、鍵和田に懇請して昭和三三年五月一二日(一)の土地の残部山林三町一畝二八歩を代金一〇〇万円で買い受け、同日代金全額を支払つて所有権移転登記を受けた。

五  原被告間の(一)(二)の土地の売買契約中(一)の土地については「他人の権利の売買」であり、原告は善意の買主であるところ、被告は(一)の土地の所有権を取得してこれを原告に移転すべき債務を負うのに、前記の事情のもとにおいてその所有権者である岡本静枝ほか四名がこれを鍵和田康に売り渡して所有権移転登記を経由した昭和三三年二月一〇日被告の債務はその責に帰すべき事由により履行不能となつたものであるから、被告は民法五六三条第三項にもとづき履行にかわる損害賠償として履行不能となつた部分の時価を原告に支払うべき義務がある。しかして(一)の土地の残部山林三町一畝二八歩の時価は一〇〇万円(原告が鍵和田康から買い受けた価格)であるが、原告は当初の売買代金七一七六円七六銭のうち五〇〇〇円を支払つたのみで残金二一七六円七六銭は未払であるから、これを差し引き九九万七八二三円およびこれに対するうち金九〇万三六二三円については訴状送達の日の翌日である昭和三三年三月二一日から、うち金九万四二〇〇円については請求の趣旨拡張申立書陳述の日の翌日である昭和三三年七月一〇日から、いずれも支払ずみまで法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため本訴に及ぶ。

六  被告の抗弁事実はすべて否認する。又民法五六四条の一年の除斥期間の始期たる「事実を知りたる時」とは、権利の一部が他人に属するために移転することができないという事実を知つた時ということであり、被告が亡岡本泰の相続人等と交渉して(一)の土地の所有権を原告に移転するよう努力を続けているうちに、昭和三三年五月一〇日岡本静枝等が(一)の土地の残部を鍵和田康に売り渡して所有権移転登記を経由してしまつたものであるから、同日被告の債務の履行不能が確定し、原告はこの時に「事実」を知つたものである。

第二被告の申立ならびに主張

被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として次のとおり陳述した。

一  本件(一)(二)の土地がいずれも、もと被告の所有であつたこと、(一)の土地が昭和八年三月四日被告から訴外亡岡本泰に原告主張のとおりの買戻約款付で売り渡されその旨の登記がされていたこと、岡本泰が昭和一一年三月一六日死亡し、岡本孝行および岡本静枝ほか四名が遺産相続したこと、(一)の土地につき昭和一九年六月一九日岡本孝行ほか五名のため遺産相続による所有権移転登記がされたこと、岡本孝行が昭和二〇年五月三〇日死亡し、岡本静枝が家督相続により(一)の土地に対する孝行の持分権を取得したこと、(一)の土地が原告主張のとおり畑六反歩、宅地三〇〇坪に分筆され国家買収のうえ原告に売り渡されたこと、(一)の土地の残部山林三町一畝二八歩につき昭和三三年二月一〇日岡本静枝のため家督相続による岡本孝行の持分権移転登記がされるとともに、岡本静枝ほか四名から訴外鍵和田康に所有権移転登記がされたこと、(二)の土地につき昭和三三年二月五日被告から原告へ所有権移転登記がされたこと、はいずれも認めるが、原告主張のその余の事実中被告の主張に反する部分は否認する。

二  被告は本件(一)(二)の土地を原告に売り渡す契約をしたことはない。被告は昭和一八年四月頃訴外大塚喜四郎から本件(一)(二)の土地の買受申込を受け、当時代金八〇〇〇円で売り渡すことを承諾し、同年五月一日うち金五〇〇〇円を受領したが、右訴外人は原告のためにすることを示した事実なく、被告は右訴外人に売り渡したものである。その後原告が本件土地に居住するようになつたので、被告としては右訴外人が原告に転売したものと考えていたが、(二)の土地を被告から直接原告に所有権移転登記したのは、被告が右訴外人のもとめに応じて中間省略登記手続に協力したにすぎない。

三  仮に被告が本件(一)(二)の土地を原告に売り渡したものであり、原告において(一)の土地が被告の所有でないことを知らなかつたとしても、民法五六三条に定める権利は買主が事実を知つたときから一年内に行使すべきものであつて(同法五六四条)、原告が右事実((一)の土地が被告の所有でないということ)を認識したのはその自陳するとおり昭和一九年八月頃であるから、原告の損害賠償請求権はそれから一年の除斥期間を経過した昭和二〇年八月頃まで存続したにすぎない。仮に善意の買主の「事実を知りたる時」とは権利の一部が他人に属することのほかに、そのために移転することができないという事実を知つた時であると解すべきものとしても、原告は本件契約当時の(一)の土地の持分権者岡本孝行が死亡した昭和二〇年五月三〇日から五年余を経過した昭和二五年夏頃までには移転不能の事実を知つたものというべく(原告はその間に(一)の土地の一部につき自創法にもとづく売渡処分を受けている。)、おそくともその時から一年を経過した昭和二六年夏頃までに原告の損害賠償請求権は消滅したものである。

四  瑕疵担保責任にもとづく損害賠償の範囲については特別規定がないので民法四一六条の一般原則が適用されるものと解されるところ、原告は契約締結以来昭和三三年二月に至るまで残代金の提供をしなかつたから、この間に売主たる被告が所有権移転登記義務を履行しなかつたことは、同時履行の理により履行遅滞にあたらず、履行不能となつたことも被告の責に帰すことはできないし、原告主張の損害額は通常生ずべき損害ではなく、いわゆる特別事情による損害であつて、被告はその事情を予見したこともなく、又予見することを得べき状況でもなかつたから、原告はその損害賠償を請求することができない。すなわち、被告は訴外鍵和田康とは一面識もなく、岡本静枝等が(一)の土地の残部を鍵和田に売却したことは被告の全く関知しないところであるばかりでなく、原告が鍵和田から一〇〇万円をもつて右土地を買い受けるようなことは被告の予想の範囲外のことであつた。

五  仮に被告において何らかの損害賠償義務があるとしても、原告はあらかじめ登記簿等を閲覧して当該不動産の所有権の帰属を調査せず、通常なすべき取引上の注意義務を欠いたこと、および本件売買契約が締結された昭和一八年五月から昭和三三年二月まで約一五年もの長期間(原告において(一)の土地が他人の所有に属することを知つたという昭和一九年八月頃から数えても満一三年六月)にわたり、これについて権利保全の措置をとることなく放置し、損害の発生ならびに拡大の防止につとめなかつたことについて過失があるから、過失相殺を主張する。

六  更に原告は昭和一八年五月頃以来今日に至るまで本件土地全部を占有し、これを使用収益してきたが、右は実際に売買契約が完全に履行されたと同等の状態であつて、原告がこれによつて得た利益額は当然賠償額から減額されるべきである。しかして原告の過去一五年余の期間における利得は別表記載のとおりである。

第三証拠関係

原告訴訟代理人は甲第一号証ないし第四号証、第五号証の一、二、第六、第七号証、第八号証の一、二、第九号証ないし第一〇号証および第一二号証の一、二を提出し、証人大塚喜四郎、風戸一雄、岡本達太郎、鶴谷光三郎の各証言ならびに原告本人尋問の結果を援用し、乙号各証の成立を認めた。

被告訴訟代理人は乙第一、第二号証を提出し、証人大塚喜四郎、岡本達太郎、和田俊郎の各証言ならびに被告本人(第一回、第二回)尋問の結果を援用し、甲第五号証の一、二、第六号証、第九、第一〇号証は知らない、その余の甲号各証の成立を認め、甲第七号証および第八号証の一、二を援用すると述べた。

理由

一  本件(一)(二)の土地がいずれも、もと被告の所有であつたこと、(一)の土地が昭和八年三月四日被告から訴外岡本泰に昭和一八年二月二八日までに買戻し得る旨の特約付で売り渡され、その旨の登記がされていたこと、岡本泰が昭和一一年三月一六日死亡し、岡本孝行、岡本静枝ほか四名が遺産相続したこと、(一)の土地につき昭和一九年六月一九日岡本孝行ほか五名のため遺産相続による所有権移転登記がされたこと、岡本孝行が昭和二〇年五月三〇日死亡し、岡本静枝が家相督続して(一)の土地に対する孝行の持分権を取得したこと、(一)の土地のうち現況畑の部分六反歩が昭和二三年二月二日自作農創設特別措置法により国に買収され、同番の五四畑六反歩として分筆のうえ原告に売り渡されたこと、同じく(一)の土地のうち現況宅地の部分三〇〇坪が昭和二五年七月二日同法により国に買収され、同番の五五宅地三〇〇坪として分筆のうえ原告に売り渡されたこと、(一)の土地の残部山林三町一畝二八歩につき昭和三三年二月一〇日岡本静枝のため家督相続による岡本孝行の持分権取得登記がなされるとともに、岡本静枝ほか四名から訴外鍵和田康に右土地の所有権移転登記がされたこと、(二)の土地につき昭和三三年二月五日被告から原告に所有権移転登記がされたこと、原告が昭和一八年五月以降(一)(二)の土地を占有し、これを使用収益してきたこと、はいずれも当事者間に争いがない。

二  被告は本件(一)(二)の土地を訴外大塚喜四郎に売り渡したもので原告に売り渡したものではないと主張しているから、まずこの点について考察するに、前記当事者間に争いのない事実に、成立に争いのない甲第七号証、第八号証の一、二、証人大塚喜四郎の証言により真正に成立したものと認め得る甲第五号証の一、二および第六号証、証人大塚喜四郎、風戸一郎、鶴谷光三郎の各証言および原告、被告(第一回、第二回)各本人尋問の結果(被告本人の供述については後記措信しない部分を除く)ならびに本件口頭弁論の全趣旨を総合すると「原告は昭和一八年初め頃、東京都から疎開する必要上知人である訴外大塚喜四郎に土地の買入方を依頼し、大塚から訴外風戸一雄を介して被告に本件係争土地を売却する意向の有無を問い合わせたのち、同年三月頃原告と大塚とが同道して被告方に赴き、大塚から原告を買主であるとして被告に紹介し、大塚が原告の代理人として交渉を進め、同年三月末頃、原告の代理人である大塚喜四郎と被告との間に、原告が被告から目録(一)(二)の土地を一括して代金八〇〇〇円で買い受ける契約が成立し、原告は同年五月一日代金のうち金五〇〇〇円を大塚を通じて被告に支払い、残金は所有権移転登記と同時に支払う旨定められたこと」を認めることができる。

もつとも被告本人は本件土地の買主が訴外大塚喜四郎であると信じていたとの趣旨の供述をしており、前掲甲第七号証および当事者間に成立に争いのない乙第一号証によれば、被告が昭和一三年八月八日その所有にかかる長柄町山之郷字西沢四四〇番山林五反三畝一歩を大塚に売り渡した事実があり、本件土地売買代金五〇〇〇円の領収書は被告から大塚宛に発行されていることが認められるが、本件売買については、前認定のとおり大塚が原告を買主であるとして被告に紹介したうえ原告の代理人として売買の交渉にあたつたものであり、右被告本人の供述も、後段認定の諸事実および被告本人の供述全般を総合して考察するときは、被告としては原告が買主であり大塚がその代理人であることは承知していたが、一般の感情として縁故者でないものに土地を売り渡すことは好ましくなかつたので、土地の徳望家である医師大塚喜四郎に売り渡すと考えることによつてみずからを慰めたことに発すると解するのを相当とし、甲第八号証の二の記載も右認定の妨げとなすに足りない。又代金額については前掲甲第五号証の二および証人大塚喜四郎の証言によるも一反歩一八五円見当で折合つたというにすぎず原告主張のように七一七六円七六銭という額で決定したことはこれを認めることができないから、この点は被告本人(第一回)の供述に従つて八〇〇〇円と認めるのを相当とする。しかして他に前記認定を覆えすに足りる証拠はない。

三  次に当事者間に争いのない事実に成立に争いのない甲第一号証、第一一号証、第一二号証の一、二、証人和田俊郎の証言により真正に成立したものと認むべき甲第九、第一〇号証、証人鶴谷光三郎、岡本達太郎、和田俊郎の各証言、原告および被告(第一回、第二回)各本人の供述(被告本人の供述については後記措信しない部分を除く)ならびに本件口頭弁論の全趣旨を総合すると、

(イ)  前掲(一)の土地は、もと被告の所有であつたが、昭和八年当時被告人が某銀行からの借入金を返済するため、(一)の土地を自己の義兄(姉のぶの夫)岡本泰に代金一万円、ただし昭和一八年二月二八日までに代金および契約の費用として金一万一〇四〇円を提供して買戻し得る特約のもとに売り渡し、前記のように所有権移転登記および買戻の登記を経たものであるところ、泰は当時岡山県に居住していたし、右のような事情から被告は(一)の土地を従前どおりみずから管理収益しており、買戻期間をすぎても泰の出金額を返済しさえすれば、容易に右土地の返還を受け得られるものと考えていた。

(ロ)  しかして岡本泰は昭和一一年三月一六日死亡し、遺産相続人としては、長男孝行、二女(土谷)義、三女静枝および亡長女つね子の子土谷淙一、功子、啓二があつたが、二女義は長女つね子の跡目として土谷に嫁しており、三女静枝は幼少であつたので、泰の遺産は長男孝行が事実上管理する関係にあつた(孝行は昭和一八年頃肺結核症で療養所に入所していた)。

(ハ)  被告は(一)の土地を原告に売り渡した当時孝行に右の次第を告げてその承認を得、原告への所有権移転登記手続をする前提として孝行を含む泰の遺産相続人等のため、遺産相続による所有権移転登記手続を代行し、昭和一九年六月一九日その旨の登記を完了させた。その頃に至つて原告は(一)の土地が被告の所有名義でないことを知り、大塚を通じて被告にその理由をただし、残金は何時でも支払う用意がある旨を告げて登記を早くするよう請求したところ、被告は「自分に借財があるため親族のものの名義にしてあるが、その親族が死んで相続人がたくさんあるので印鑑を貰うのに手間がかかるから、しばらく待つてくれ」といい、昭和一九年七月二四日付の書簡を大塚に送り、遺産相続登記の完了した事実を報告するとともに、決して不都合かけるようなことはないから必配しないようにとの趣旨を申し述べたが、爾後の手続をせん延しているうち、昭和二〇年五月三〇日孝行が死亡し、静枝がその家督相続をしたので、再度の相続登記を経なければ原告への所有権移転登記ができない状態となり、その後は終戦時の混乱と相続人等が遠隔地に居住している関係でますます手続の進行が困難となつた、原告としても、すでに(一)の土地上に家屋を建築してこれに居住しており、被告とも近隣の関係になつていたから、しばしば被告方を訪れて登記手続の履行を請求し、又路上で会つた際等にさいそくしたこともあつたが、被告はその都度、心配はない間もなく登記ができるとの趣旨を答えながら、その頃静枝等と疎遠になつていたため、何らの手段をほどこすことなく歳月を送り、その間に登記手続の進行しないことに焦慮した原告は前記のとおり(一)の土地の一部につき自作農創設特別措置法による売渡を受けるに至つた。

(ニ)  被告としては孝行の死亡後静枝に対して(一)の土地の原告への所有権移転登記手続に応ずるよう人を介して話し合うつもりであつたが、静枝は右土地が亡父泰の所有名義となつた事情は知らないし、すでに成人し、前記のように被告とは疎遠になつている関係もあつて、被告の一存で登記に協力させることもできない状況となつてしまいながら、一方原告に対しては前記のとおりの言辞をもつて登記義務の履行を延ばしつつ、手をつかねていた。その後昭和三二年一二月頃に至り静枝から訴外岡本達太郎を介して原告に対し(一)の土地を他に売却したいが、原告が三〇万円位出してくれれば原告に売り渡してもよいとの趣旨を申し入れてきたので、原告は事の意外におどろき、売主たる被告に右の次第を告げて善処方を要望し、原告、被告、達太郎、大塚等の間に協議がおこなわれたが妥結に至らず、被告は昭和三三年二月五日(二)の土地につき原告へ所有権移転登記したけれども、(一)の土地については何らの手段を施すことができなかつた。そのうち静枝は(一)の土地と、ほか四筆の土地を訴外鍵和田康に一八〇万円で売り渡し、昭和三三年二月一〇日(一)の土地につき岡本静枝のため家督相続による岡本孝行の持分権移転登記を経たうえ、同日右土地の所有名義人である岡本静枝、土谷義、土谷淙一、土谷功子、土谷啓二から鍵和田康へ所有権移転登記を経由してしまつた。

(ホ)  右の事実を聞知した原告は大いに憤慨して被告を責めたが、被告も(一)の土地が静枝等から鍵和田に売り渡された事情は知らなかつたので当惑するばかりでどうにもならなかつた。ここにおいては原告は、すでに一〇余年も本件土地に居住し、耕作や植林等もおこなつている関係上やむを得ないと考え、鍵和田と交渉して同年五月一二月(一)の土地のうち自創法によつて売渡を受けた部分以外を代金一〇〇万円で買い受け、同日所有権移転登記を受けるに至つた。

との各事実を認めることができ、被告本人(第一回、第二回)の供述中右認定に反する部分は、前掲各証拠に照らして措信できず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

四  前段までに考察した事実関係によるときは、原告と被告との間の(一)の土地の売買は他人の権利を目的としたものであり、売主たる被告においてその権利を取得して買主たる原告に移転することができない場合に該当するとともに、原告は契約の当時その権利が被告に属しないことを知らなかつたことが明らかである。しかして本件売買は、当初から被告の所有に属する(二)の土地と、他人の権利である(一)の土地とを包括してされたものであるから、(一)の土地に関するかぎりでは「売買の目的たる権利」全部が他人に属する場合にあたるけれども、売主の担保責任としては民法第五六一条でなく第五六三条が適用されるものと解する。従つて本件においては同法第五六四条の除斥期間の適用があることとなるが、同条において「事実を知つたとき」というのは権利が他人に属するということだけでなく、そのために移転することができないということを知つたときと解すべきである。そうでないと売主が他人の権利を取得するための努力を続けているうちに(すくなくとも買主から見て売主がそのような努力を続けていると正当に信じているうちに)除斥期間が満了し、買主において売主の担保責任を追及する機会を喪失することとなるからである。よつて原告は昭和三三年二月一〇日(一)の土地が岡本静枝等から鍵和田康に所有権移転登記されたとき「事実を知つた」ものというべく、本件訴状が同年三年二〇日被告に送達されたことは記録編綴の送達報告書により明らかであるから、原告は除斥期間の順守について欠けるところがない。

五  権利の瑕疵についての売主の担保責任は、原始的一部不能による契約の一部無効に対して認められた責任であつて、後発的不能の場合の債務不履行による責任とはその性質を異にすると説明されている。しかしながら他人の権利の売買における担保責任をも原始的不能にかぎると解すべき根処はなく、むしろその性質上後発的不能の場合にこそ担保責任を認めるべきものであろう(大審院大正一〇年一一月二二日判決、民録二七輯一九七八頁参照)。しかしてこの場合における損害賠償が債務不履行にもとづく履行利益(積極的利益)の賠償か、それとも信頼利益(消極的利益)の賠償かについては異論があるが、他人の権利の売買における担保責任が後発的不能を含むと解すべき以上、契約の無効を前提とする信頼利益の賠償に限らず、契約の有効を前提とする履行利益の賠償を含むと解すべきである。元来原始的不能のためその不能の部分については売主の債務が成立せぬような場合においても売主の担保責任(無過失責任)は認められるのであつて、このような場合は、いわゆる「契約締結上の過失」と同じく信頼利益の賠償もしくは対価の制限内における賠償(東京高等裁判所昭和二三年七月一九日判決、高等裁判所民事判例集第一巻一〇六頁参照)のみが認められると考え得るけれども、後発的不能の場合において売主に過失のあるときはこれと同列に論ずることはできないのである。ただこの場合には民法第四一五条の一般の債務不履行の責任と担保責任とが併存することがあり得る。

これを本件について見るに、被告が昭和一八年当時(一)の土地を原告に売り渡すにあたり、共有権者岡本孝行の諒解を得ていたのであるから、他の共有権者と交渉することによつて原告への所有権移転は可能であつたものというべく、昭和二〇年五月三〇日孝行が死亡してから後も、被告において相続人等と誠意をもつて交渉し、あるいは相当の出損をすることによつてみずから(一)の土地の権利を取得したうえ原告にこれを移転することができた筈であるのに(現に昭和三二年一二月頃孝行の相続人静枝の申出があつたとき被告が三〇万円を出金しさえすればこのことは可能であつたのである)、権利取得のため何らの努力ないし手段を尽さないでいるうちに、昭和三三年二月一〇日岡本静枝等が(一)の土地を鍵和田康に売り渡して所有権移転登記を経たため、被告の債務は履行不能となつたものであるから、履行不能について被告に過失があるといわなければならない。被告は原告が残代金の提供をしない以上被告に遅滞はなく、この間に生じた履行不能については責を負わないと主張するが、売主の瑕疵担保責任については遅滞の有無を問題にする余地はないから被告の右主張は採用の限りでない。又被告は原告があらかじめ登記簿を閲覧して当該不動産の所有権の帰属等を調査せず、権利保全の措置をとらなかつた点を過失があると主張するが、原告は被告の言により当該不動産が被告の所有に属すると信じてこれを買い受けたものであり、登記簿等を調査しなかつたことが被告に対する信義則違反となるものでなく、原告がその後において右不動産が他人の所有である事実を知つても、原告と被告との間の売買契約は所有者を拘束しないから、法律上権利保全の方法はないのであつて、被告の債務が履行不能となつたことにつき原告に過失があるとすることはできない。

六  結局本件売買当時(一)の土地が他人の権利であることを知らなかつた原告は民法第五六三条第三項によつて被告に対しその履行不能による損害賠償を請求し得るものである。しかしてその損害(通常の損害)額は履行不能が確定した昭和三三年二月一〇日当時の(一)の土地(ただし原告が自創法による売渡を受けた部分を除く)の価額であるが、その価額は反証のないかぎりその直後である同年五月一二日原告が訴外鍵和田康から右土地を買い受けた代金額一〇〇万円に相当すると認めるべきである。しかしながら原告は被告から(一)(二)の土地を八〇〇〇円で買い受けたものであるがうち金五〇〇〇円を支払つたのみで残金三〇〇〇円を支払つていないので、これだけは損害額から差し引くべきものである。なお原告は自創法により(一)の土地の一部を政府から売り渡しを受けており、この部分についてはまさに権利の一部が履行不能となつた場合に該当するが、原告において代金減額の請求をしていながら、その価額は損益相殺として考慮する必要がない。又被告は原告が昭和一八年五月頃以来今日に至るまで本件土地を使用収益することによつて得た利益を損害額から差し引くべきであると主張するが、右利益は(一)の土地の所有者岡本静枝等に対する関係で不当利得となるものではあつても、被告に対する関係では何らの利得となるべきものでないから、これを損益相殺として考慮すべきものでない。

七  よつて原告の本訴請求は被告に対し金九九万七〇〇〇円およびこれに対するうち金九〇万三六二三円については訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかである昭和三三年三月二一日から、うち金九万三三七七円については請求の趣旨拡張申立書陳述の日の翌日であることが記録上明らかである同年七月一〇日からいずれも支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当であるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田中恒朗)

別表〈省略〉

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